田野町の森林鉄道跡
2011.04.27
|Category:日記
4月26日(火)。
昨日は田野町の貯木場、製材所のあった場所に行ってきました。
なんでも副会長の和泉さんが「線路の跡が残っちゅうきん、まぁいっぺん来てみぃーや。連れていっちゃるき。」と言ってくれたので、早速行ってみました。
奥が和泉副会長。手前がアークデザイン研究所の松本さん。
昔の記念アルバムの写真を見ながら、
「ココが貯木場やったがですか?」
「そうやねぇ?、あっちやね。あっちが不動の方やきね。」と位置を確認。
で、肝心の線路跡は?と尋ねると、
「ココよ。」と指さし、
んっ?トラックがありますよ?
えっ!?ココ↓
今踏んできたとこやん!?
すぐ足元でしたが、セメントが周りに敷き詰められ
すぐにはわかりませんでした。
では、これは?
ちょっと足で砂をズリズリはらい除け、線のように見えるでしょ?
ココは『田野屋塩二郎』さんの塩工場や銘木センターがすぐ見える場所です。
何度か来てたのに、ぜんぜん気づきませんでした。
なんとかもう少し見えやすくしてみようかと思います。
田野町では林鉄時代は、今の田野屋塩二郎さんの付近で関西に運んでいた田野港船積み場があり、
その周辺に貯木場、製材所、枕木の製作所、鉄工所、運輸事務所などがありました。今でいうと田野町役場やふれあいセンター、中芸地区商工会の場所がそうだったんです。
田野町の今の建物や道路、生活の風景になったのも、この森林鉄道が走って、
経済が発展したからだと思います。
山だけではなく、海岸線の地域生活まで経済効果のあった森林鉄道。
まだまだ探し求めると奥が深そうです。
林鉄も負けじと頑張る100周年!
ランキング参加中!
林鉄ファンになってください!クリックお願いします?
にほんブログ村
マニアの方はこちらもクリック?
にほんブログ村
コメントを記入してください